豊玉姫命(トヨタマヒメノ ミコト)、事代主命(コトシロヌシノ ミコト)、速進雄命、火之加具土神、吉備津彦命など
古来、福山市の神辺町・駅家町・新市町辺りまで入江となっており、海であった。 この一帯に住んでいた漁民が豊漁を願って、海神である豊玉姫命を祭ったのではないかといわれている。 伝承によると、現在の鎮座地である吉野山の東麓、網付谷というところの荒磯岩上に磯神社として鎮座し、後にさらに奥の地の小中山という地に遷座、建武年中(1334〜1335)に朝山次郎佐衛門尉景連が黄葉山(吉野山)上に神辺城を築城した際、城郭の守護神として現在の地に遷座したと言われている。 いつから天別豊姫神社と称するようになったのかは定かではない。 後に神辺大明神と呼ばれるようになり、明治2年に再び現在の社名に改称した。 -式内社調査報告より-
備後国式内社。 深安神社めぐりの1社。 広島県神社庁加盟。
■コメント 国道313号線沿い、神辺駅東方向で、かつて神辺城が築かれた吉野山の北麓に鎮座。 国道沿いに大きな鳥居が立ち、境内が見えているのですぐ分かると思います。 旧・神辺町内で一番大きな神社というだけあって境内は広く、池もあります。 社頭の鳥居からまっすぐ進むとまた鳥居があり、社務所があります。そのまままっすぐ行くと石段を登り始めます。 途中、横道があり境内社があります。 そして山の中腹に石垣があり、その上に社殿があります。 石垣のすぐ下には境内社の稲荷大明神などが鎮座。 社殿のある石垣上の端の方にも境内社の皇神社などが。 社殿は大きいが、石垣の上の敷地は山の中腹のためかあまり広くはありませんでした。 ここからは神辺町が一望でき、北西にはこの辺りの最高峰・蛇円山も見えます。 元々の祭神は豊玉姫命であり、後に事代主命や速進雄命が合祀されたようです。 さらに大正3年に三月町内の古祠が合祀され、火之加具土神と吉備津彦命が祭神に加わりました 。 ちなみに同じ備後国内には、 豊玉姫命の父である豊玉彦尊(トヨタマヒコノ ミコト)[大綿津見命(オオワタツミノ ミコト)]を祀る沼名前神社(福山市鞆町)や、夫である蘇羅比古(ソラヒコ)[彦火火出見尊(ヒコヒヒデミノ ミコト)]を祀る蘇羅比古神社(庄原市)があります。
また、旧・深安郡内の神社を巡る『深安神社めぐり』というのが実施されているようですが、詳細は不明です。 ちなみにこの神社が神社深安めぐりの最初の一社目となるようです。
【 拝殿 】