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【 備 前 】
伊勢神社
-いせ じんじゃ-
伊勢神社
鎮座地 岡山県岡山市北区番町2-11-20
祭神 天照大神(アマテラス オオミカミ) 、豊受大神(トヨウケノ オオカミ)
創建  
由緒

創建年代は不詳であるが、第10代崇神天皇の御代皇女である豊鋤入姫命が創建になったといわれ、元伊勢として二千有余年の歴史をもつとされる。

室町時代頃までは備前岡山(当時は御野郡広世郷・出石郷)の氏神として崇敬が篤く、境内地も現在地より広域で、現在の弘西地区全域に及んでいたという。

その後、他の神社も創建され、人々も他地域より移住し、さらに戦国時代に宇喜多氏により岡山城築城され城下町が形成されて、現在の氏子地域が出来上った。 安土桃山時代以後は、宇喜多、池田両領主の崇敬が篤かった。岡山藩主・池田光政公以後は、明治維新まで備前岡山藩内の寺社領としては最高の300石を賜わり、伊勢宮神官を以って備前国神職総頭の職を拝命され、備前藩又は池田家の祭事一切が伊勢宮神官の手によって執り行われた。

また、300年前から「御神事」という祭事が執り行われており、文禄元年に宇喜多秀家が秀吉の命を受け、「征韓の役」の出陣に先立ち具足甲胄に身を固め、藩主以下総勢が行列を整え、藩旗・弓・槍・鉄砲等を持ち、伊勢宮に戦勝祈願に詣でた形を後世神事として祭儀の中に取り入れて行われたのが起源であるという。明治初年の頃までは、実際に神馬・弓・槍・具足甲胄を身につけ執り行われていた。江戸時代、氏子は武士と町人が半々であったため、御神事は主に商家である小畑町(現・番町)、上出石町、中出石町、下出石町(現・出石町。なお下出石町は現在岡山神社の氏子地域となっている)の四町内が順番に奉仕していた。

-岡山県神社庁HP、式内社調査報告より-

御利益  
駐車場 20台程度あり
アクセス JR岡山駅より徒歩25分
南方交番前バス停より徒歩3分
備考 式内社。 岡山県神社庁加盟。  
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参詣日 05/11/13 (10/05/28 UP)
■コメント

戦災を逃れ、岡山市中心部では数少ない古い町並みが残る出石町や番町周辺を氏子とする神社。

境内のすぐ東の旭川土手上を南北に旧津山往来が通る。江戸時代は周辺は城下町の北端にあたり、街道沿いということもあって周囲は賑わっていたようだ。 現在は神社周辺は住宅地となっている。南部にあたる出石町一丁目周辺は、古い町並みと後楽園の最寄町ということで町おこしが計られている。

なお、神社の北に少し行ったところに、初代岡山藩主・小早川秀秋の墓所として知られる瑞雲寺がある。

近世初頭ぐらいまで、周辺は旭川河口付近の分流により作られたデルタ地帯で、そのデルタにこの神社はあった。 

【 社頭 案内板 】

[ 拡大写真 ]

【 社頭 案内板 】

[ 拡大写真 ]

【 参道 】
旭川土手上に続く旧津山往来から
西へ参道が延びる。
【 参道 】

 
 

【 参道 】

参道から土手(旧津山往来)を見たところ。

【 鳥居 】

 

【 社号標 】
【 灯籠 】
【 灯籠 】
【 随神門 】
【 手水舎 】
【 拝殿 】
【 拝殿 】
【 拝殿内部 】
【 山車 】
【 本殿 】
【 本殿 】
【 本殿 】
【 社殿 】
【 社殿 】
【 社殿 】
【 社殿 】
【 境内社 天満神社 】
【 境内社 稲荷神社 】
【 境内社 稲荷神社 】
【 境内社 幸延神社 】
【 境内社 十五末社 】

十五の境内社(末社)が集められている。

【 境内社 幸延神社 】

前述の稲荷神社とは別のもの。

【 宝物庫 】
【 社務所 】
【 コミュニティハウス 】

境内には地域の公会堂のような施設もある。

 

【 旧津山往来 】

旭川土手上の旧津山往来の町並。
古い風情のある建造物も多い。
[ 拡大写真 ]

【 番町の町並 】

津山往来同様、神社の周囲には古い建造物が
多い。かつては門前町として賑わったのだろう。
[ 拡大写真 ]

【 番町の町並 】

 

[ 拡大写真 ]

伊勢神社 -いせ じんじゃ-

 

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