第21代雄略天皇の御代のご鎮座と伝えられ「日本三代実録」という古い歴史書に「備後の国 多祁伊奈太岐佐耶布都神社 従五位下を授く」とあり、千五百年にも及ぶ古い由緒の神社で延喜式神名帳に記され、祈年祭というお祭には国から奉幣(供物)があった神社。
権現信仰や神社名の長いこと、また神主家の変遷や火災などによってか式内社であることが分からなくなったが、明治時代となる直前に式内社として改めて確認され、阿部正桓藩知事が参詣され多種の武具や幕が奉納した。
大石灰岩の洞窟の神さびたご神域は広島県天然記念物に指定され、学術的価値も高く、洞内は夏は涼しい。
現在の社殿は相殿造のようになっているが、向って右のお社が当神社で少し大きく、左のお社は赤濱宮で少し小さく建立してある。
-社頭案内板より-
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