■コメント
備中国18社ある式内社のうちの一つ。だが想像していたよりは小さな神社でした。民家の裏にひっそりと鎮座しています。
近くに通称鐘乳穴と呼ばれる備中鍾乳洞がありますが、元々はその鍾乳洞を祭った神社だろうと思われます。
かつては岩山大明神と称していた時期もあったのですが、明治に再び現在の社名になりました。
元々、旧・北房町にあたる地域は大部分が阿哲郡の前身である阿賀(英賀)郡に属していました。 明治33年にこの地域は上房郡へと編入になりました。
神名帳に 阿賀郡として記載されているのはこのためです。 |