【 備 後 】
二宮神社 (二宮大明神)
− にのみや じんじゃ (にのみや だいみょうじん) −
鎮座地
広島県福山市神辺町八尋   ※旧・深安郡神辺町
祭神

吉備津彦命(キビツヒコノ ミコト)、大倭根子彦太にの命(オオヤマトネコヒコフトニノ ミコト)[ =孝霊天皇(コウレイ テンノウ) ]、細比売命(クワシヒメノ ミコト)、吉備武彦命(キビタケヒコノ ミコト)、稲田姫命(イナダヒメノ ミコト)など

創建
 
由緒

元々、古来よりこの地には稲田姫命を祀る社があった(創始年代不詳)が、備後一宮吉備津神社より4座を勧請して合祀し、『二宮五社大明神』の名で備後二宮として祀られた。

その後、慶応4年に現在の二宮神社(もしくは二宮大明神)の社名に改称した。

参道途中、西側にある連乗院は二宮神社の神宮寺(別当寺)として神仏習合であった。その名残で、連乗院には二宮神社の御神体が祀られている。

-境内案内板より-

御利益
 
駐車場
なし  (参道口に葛原勾当・葛原しげる生家があり、そこの駐車場に数台駐車可)
アクセス
井原鉄道御領駅から徒歩約25分。
八尋下・八尋中バス停から徒歩約8分。  
備考

備後国二宮。 式内社?  深安神社めぐりの1社。

参詣日
06/1/23 (06/8/12 UP)

■コメント
式内社・多祁伊奈太伎佐耶布都(タケイナダキサヤフツ)神社の論社の一つ。
多祁伊奈太伎佐耶布都神社といえば、福山市山野町の岩屋権現岩穴宮とされていますが、この二宮神社とする説もあるようです。

式内社調査報告によれば、社名の”多祁(タケ)”=大家(タケ)郷(現在の神辺町上竹田・下竹田・八尋)、”伊奈太(イナダ)”=稲田姫命、”佐耶(サヤ)”=大家郷内の地名といったことから、かつて備後国安那郡の大家郷に属し、稲田姫命を祀る二宮神社が多祁伊奈太伎佐耶布都神社であるという。
他にも竹田村(現在の現在の神辺町上竹田・下竹田) の字小川に鎮座していたという説もあるが、所在は不明だそうだ。
福山周辺の歴史について書かれた『福山志科』には、多祁伊奈太伎佐耶布都神社に比定される神社は定かではないとしていりうそうです。

また、かつては境内のすぐ南西にある連乗院という寺が神宮寺であった神仏習合の神社でした。
さらにこの神社は備後国二宮なんですが、思っていたより小さな神社で、地域の氏神様のような感じがしました。

この神社も『深安神社めぐり』の一つです。

[ 境内案内板 ] [ 深安神社めぐり朱印 ] 

【 社頭 鳥居 】

簡易舗装の狭い参道が続き手います。
急な上り坂。

【 手水鉢 】

鳥居の前には古い手水鉢。

【 参道 】

参道途中で二股に道が分かれます。
左に行くと連乗院、右へ行けば二宮神社。

【 神門 】
 
 
 
 
【 連乗院 石碑 】

 連乗院の横を参道が通っています。
参道から見えるように『二宮神宮寺』の石碑。


【 連乗院 】
 
 参道から見たところ。
 かつてニ宮神社の神宮寺でした。
 
【 石段 】



【 鐘楼跡? 】
 
神仏習合のなごりか?鐘楼の跡のようにもみえます。

【 拝殿 】

   
【 狛犬 】

 
【 拝殿 】


【 拝殿 】

   
【 本殿 】

 
【 本殿 】

 
【 手水鉢 】

  拝殿の前にあります。
 
【 神庫 】

トタンの質素なもの。
 
【 境内社その1 】

小さな祠。

【 境内社その2 荒神社・出雲大神 】

左が荒神社、右が出雲大神。

【 境内社その2 荒神社 】

 
【 境内社その2 出雲大神 】

 
【 境内社その3 】

少し離れた所にひっそりとあります。
 
【 境内社その4 】
 
中に3社が祀られています。
 

【 境内社その4 社の内部 】

 
 右上写真の境内社の内部。
左から木ノ山神社、猿田稲荷神社、光田稲荷荒岩神社
が祀られている。
 
【 境内社その5 地主大明神 】
 
かつてこの地の発展に尽力した庄屋・矢田二郎三郎重宗
という人物を祀っています。

 
【 境内社その6 金毘羅宮・稲荷神社 】
 
 左が金毘羅宮、右が稲荷神社。
 
【 境内社その7 】
 
 
 
【 境内からの眺め 】
 
境内は少し高い位置なので、八尋・竹田地区が
見渡せます。
[ 拡大写真 ]
 
 
【 葛原勾当・葛原しげる生家 】

参道口右手に琴の名手・葛原勾当とその孫で
童謡作家・葛原しげるの生家があります。
しかし手入れが行き届いてなく荒れ気味なのが残念。
[ 石碑 ] [ 案内板 ]

二宮神社 (二宮大明神) 
−にのみや じんじゃ (にのみや だいみょうじん)−