口碑によれば、吉備津彦命を中山の南峯に斂葬した時、お棺が鳴動して鵜が一羽飛び出し西方に翔った。その止った処を鵜江神社とする、と伝えている。その後、北辰北斗星も祭れる縁由により、大元星王宮と改称したといわれる。
この大元星王宮が明治4年の社格(村社)決定時に、往古に復し大元鵜江神社に改められた。
地元では、この大元鵜江神社が、式内社である西川面鎮座の鵜江神社の本来の鎮座地であったとされている。
この大元鵜江神社が鎮座している地は、『星の峰』と呼ばれており、『天武天皇壬申の乱に戦勝を天に祈る時に、星光降ること雨のごとく、その音雷の如し、当社の山内に落つ、故に名づけて星の峰と称す』といわれ、隕石落下の伝承がある。これが星王宮の名の由来とされる。
宮司の鳥越氏は下道国造の後裔と伝えられており、明治初年までその本家筋が式内社・鵜江神社の神職を勤めた。
ちなみに、往古の火災によって宝物・旧書を失っている。
また、同町小林の鵜江神社、宇内の鵜成神社はこの神社の分社とされる。
-岡山県神社庁HP、式内社調査報告より-
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