この場所は鎌倉時代に美作の守護職(大名)の館のあったところで、境内全体が国指定の史跡となっている(大正11年指定)。
この神社は第96代後醍醐天皇と備前の児島備後三郎高徳にまつわる故事に由来する神社。
江戸時代、津山藩の家老長尾勝明は、荒廃していた館あとに碑を建立して、高徳の誠忠を顕彰した。これは、南朝忠臣のモニュメントとしては全国で2番目に古く、湊川の「嗚呼忠臣楠子之墓」よりも4年はやく建てられたものである。
その後、幕末になって、ここに神社を造立しようという声がおこり、国学者道家大門(どうけ・ひろかど)らの建議により、藩主を経て朝廷の許可を受け、勅号の「作楽神社」という社名が下された。
こうして明治2年に神社創建となった。
−岡山県神社庁HPより−
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